はじめまして

つくったものを世界へ公開するのは「オモロイ」ことだと友人から教えてもらったので、ブログを始めてみる。

考えたことや感じたこと、起こった出来事を書き残していきたい。

まとまらない言葉もまとまらないままに残していきたい。(これはただ怠慢なだけかもしれないが。)

 

自己紹介がてら、自分のこれまでを振り返る。

これまで人間関係やコミュニティへの所属について悩んできた。
他者(自分以外の人、社会)との関係性が自分の人生のテーマだった。

ただ、この1,2年はいろいろなことがあって、考え方や価値観に大きな変化があった。
特に昨年(2023年)の第4四半期には、これまでの人生の伏線回収が立て続けに発生した。

 

自分は人と話すことは好きで、他者への関心は強い(と思っている)が、物心ついた時から人とのコミュニケーションへの違和感があった。
また、その時その時のコミュニティに所属することはできていたものの、どこか居心地の悪さが拭えなかった。
学生時代を振り返ると常にこれらの問題が付き纏っていた。

 

小学校は6年間クラスが変わらなかった。
人間関係のトラブルが絶えず、逃避先となるような外部のコミュニティは存在しなかった。

中学校は部活がコミュニティの中心だったが、どこかノリが当然肌に合わなかった。
なんとか部活の外にコミュニティを見つけられてその時は自分の居場所のように思えたが、近い距離感の関係もそれはそれで戸惑うところや難しいところがあった。

高校は男子校だったのでのびのび好きなことができて、やっと人間関係の悩みから解放された。
この時期に出会ったもの(音楽、小説、アニメ)に自分は生かされている。

こうして思い返すと実にくだらない悩みのように感じるが、当時は苦しんでいたと思う。
幸い友人には恵まれた(多くは大学以降で出会ったか仲が深まった人たちだ)が、自然体でいられて考えたことを素直に伝えても笑われない関係性を築くのにはかなり苦労した。

 

これまで人との関わり方では、正解パターン/不正解パターンを学習して、人当たりの良い振る舞いをしてきた。そのため他者との関係を維持することへの労力が大きく、負荷を感じていた。
それでも、今まではなんとなくやっていけていたし、自分はマジョリティ側(=コミュニティに所属してうまくやっていける)の人間だと思い込んでいた。

しかしこの1年ぐらいで、本当はそんなことはなくて、自分ははなからやっていけない、マイノリティ側の人間であること痛感した。
頑張ればできるのだからそれをサボるべきではないと自分に言い聞かせてきたが、そもそも適性がなかったという事実を受け入れた。

これは諦めに近い。努力ではどうにもならない領域なのだ。
そして諦めからは覚悟が生まれる。こんな自分でも自分なりに他者との関係を築くことができるはずだ。
この覚悟は暗い絶望ではなく、明るい引き受けであると信じている。

 

この世界には面白いものや美しいものが溢れているし、他者(自分以外の人や社会)への愛おしさが自分の中には確実に存在している。
今後は、自分なりの社会へ接続する回路を模索していきたくて、ちゃんと文章を書いていきたいとぼんやり思っていた。
冒頭にも書いた友人の言葉に後押しされたので、まずはゆるいところからこうして書いたものを公開することにした。