日記

某日

ICLの手術を受けた。

手術の内容としては、レーザーで角膜を数ミリカットし、その隙間からレンズを挿入するというものだ。

レーザー照射時は、赤い光4つが菱形の形に並び、点滅して数秒経ったら終わっていた。

レンズ挿入時は、眩しい光を当てられて何も見えないが、眼球を押されたり引っ張られたりして視界が自分の意識に反して動いた違和感を覚えている(もちろん麻酔はされてる)。

どちらも旧アニメ版のエヴァンゲリオンで描かれるシーン(特にパイロットの心象風景)に近いと感じた。

あっという間に終わったように感じるし、実際20分程度の手術だった。

 

某日

ICL手術から3日が経過した。

常に保護ゴーグルを装着して、目に何も触れないように注意しながら生活している。

首から下はシャワーを浴びても問題ないが、髪の毛や顔を洗うことは禁止されている。

シャンプーシートや洗顔シートでなんとか誤魔化しているのだが(それでも1日に3度は拭き取っている)、髪の毛を洗いたくて仕方がない。

どうしても洗いたくて洗いたくて、髪の毛を洗うことがもはや楽しみにすらなっている。

もしかしたらシャワーを浴びるのを我慢して数日に一度だけ体を洗うようにしたら、それはとんでもない快楽になるのかもしれない、と一瞬頭をよぎったが、ただ不潔なアラサー男性が誕生してしまうだけだ。

こんなことを考えてしまうくらいには髪の毛を洗いたい。

 

某日

某タワマン小説を読んだ。

文章がうまく、固有名詞によって絶妙なニュアンスを的確に表現されており、現代の若者が抱える苦しみが生々しく描かれていて、自分も面白いと感じた。

が、ここ数年で最悪の読書体験だった。

(ダラダラ書きたくないので省く)

「孤独の本質的価値は、誰からも何も期待されないことだと思う。」という文が登場するのだが、ここにこの作品の限界が表れていると思う。

本来、孤独とは誰彼とは関係なく、目の前の事物と向き合うことであろう。

ここでいう事物とは文学やアートといった誰かの創作物であったり虫や石なんかであったり街であったりする。

「誰からも何も期待されない」なんていう、自分以外の人間がそもそも想定されている時点で孤独とは何かを履き違えている。

詰まるところ人生にしか興味のない、つまらない人間なのだ。

この作品ではつまらない人間のことしか描かれていない。

この社会では、誰もが競争に巻き込まれる。そしてどこかでその競争に敗れ、多かれ少なかれ自分と誰かを比較して嫉妬や羨望を抱いてしまう。

誰しもが抱えうるものの、決して新しいアイデアではないテーマを、固有名詞をふんだんに盛り込んで露悪的に描いただけの物にそこまでの価値はないと考える。

 

某日

友人の結婚祝いを開催した。

幸せに満ち溢れていて、とても楽しい素敵な時間だった。

この先の人生は「軽率に人を祝う」ことを掲げて生きていこうと思う。

 

某日

タル・ベーラ監督作「ヴェルクマイスター・ハーモニー」を観た。

これまで自分が触れてきた作品を全てぶち抜かれ、完膚なきまでに叩きのめされた。

面白かったとすら言い難く、心の底から1ミリもわからなかった。

この歳になってこのような作品に出会えることが本当に嬉しい。

きっとこの世界には素晴らしいものがまだまだたくさんあるのだろう。

なんと幸せなことだろうか。