某日
1泊2日で仙台へ旅行へ行った。
西日本には大きな都市が多数ある(大阪、京都、神戸、広島、博多)ため選択肢があるが、東日本では東京へ出るか仙台へ出るかの2択しかない、という意見を見てから仙台がどのようなところか見にいきたいと思っていた。高校生の頃に家族で行ったことはあるが、自分の足で歩いてみたかった。
仙台駅は巨大でよかった。地方都市のデカめの駅を4倍ぐらいにした感覚だ。
うまい寿司を食べた。普段よく行く寿司屋がはま寿司の自分からしてみると、今回行った1人前が5000円近くする寿司屋は高級店だった。べらぼうに美味しかったが、少し肩身が狭かった。
某日
住んでる建物のエレベーターに付いているディスプレイから占いが見られるのだが、この日は運勢1位のラッキーアイテムに「水素吸入」と表示されていた。過去にはラッキーアイテムが「いかづち・雷」だったこともある。
やはり占いはまともな人間がやっているものではない。
ちなみに水素吸引機をネットで調べてみたところ、家庭用の什器はしょぼいやつで5万円、でかいやつで50万円ほどで買えるようだ。やはりまともな人間がやっているものではない。
そして僕はいまだにエレベータとエスカレーターを混同する。ちょっと考えないと出てこない。これはとても恥ずかしいのだが、本当の話だ。
某日
アニメのカイジを全て(第一期・第二期)観終えた。
第二期1話目で、あまりにも有名なネットミームが爆裂登場していてアツかった。
なんとなく敬遠していたが面白かった。
おそらくこの先もギャンブルはやらないであろうと思うが。
某日
尾形亀之助の詩集『カステーラのような明るい夜』を読んだ。
西尾勝彦氏が編集を務め、「永遠の淋しさ」がテーマとしてつけられている。
亀之助が孤独であることとずっと向き合ってきたことが伝わってきた。読んでいて、冬の冷たく乾いた風が通り去っていく感覚があった。不思議と心地いい。
だが、その背後には暗く深い何もない虚無、虚しさ、闇、深淵、深遠、のようなものがじっとそこにいることが感じられる。怖かった。
この感覚は、数年前友人から誕生日のプレゼントに贈られた別の詩集を読んだ時には感じなかった。その時はぼんやりと涼しげで淋しさ、どこか優しさがあるものに感じていたと記憶している。
某日
ムジナの庭という就労支援の施設を見学しに行った。
この施設へは少額ではあるが昨年から毎月寄付している。
ここ数年ケアについての関心を抱いており、本を読んだり話を聞いたりしていたので、自分の目でケアがなされる現場を見ることができてよかった。
モノづくりを通して「はたらく」ことを支援していて、その際に利用者に何かをただ作らせるというような一方的な矢印ではなく、双方向的に「何を作りたいか」、「どう改善したら良いか」を利用者とスタッフが話し合うプロセスが設けられているようだ。
その日はたまたま、普段は施設を利用している方が見学者として来られていて普段の様子を詳しく聞くことができた。とても明るくニコニコと施設での楽しい時間について話をしてくださった。
見学では利用者の方が建物や食べ物(注文するお茶とケーキ)について説明してくださった。食べ物の説明担当の方が、緊張していたのか深く調理帽子を被って顔を隠していたのが印象深かった。その帽子のつばを押さえる仕草に愛おしさのようなものを感じた。断片的なものに過ぎないのだが、まるでその人が過ごしてきた長い時間がその手に表れているように思えた。